2つの「北上ルート」、準備できていますか
あなたの街が猛暑に包まれる頃、 中国西北の夏は、まるで清涼がそのまま熟成された“自然の一杯”のように、 賀蘭山の深い緑に守られ、黄河峡谷の水霧に溶け込み、 そして砂漠の星空がつくる静寂にそっと息づいています。 平均20℃のこの秘境は、まさに“清涼の原点”。 熱波の延長線ではなく、心身を整えるための特別な避暑地です。 賀蘭山麓の豊かな緑、峡谷を満たす潤いの空気、 砂漠の夜がもたらすひんやりとした風—— これらすべてが、西北の夏だけが持つ唯一無二の涼を紡ぎ出します。 そしてもちろん、甘くみずみずしい果物、旨味あふれる牛羊肉。 そして最後に欠かせないのが、一杯の極上ワインです。
西北の荒涼へと身を委ね、夏だけが持つロマンを感じてみませんか!
人込みを離れ、 「観光地」の枠を外れた本当の西北を巡りましょう。 地理と人文が折り重なる深い“褶曲”の地帯へ。 寧夏・中衛では、大砂漠がつくり出す静かな生活美学を。 内モンゴル・老牛湾では、黄河が大きく曲がるその瞬間に宿る野性とロマンを。 この二つの“北への道”には、 西北のエッセンスが凝縮されながらも、手つかずの静けさが守られています。


ルート① フフホト - 大楽之野・黄河大峡谷
自然が刻んだ壮大な造形、“牛”が運命を転じる。
老牛湾(ラオニウワン)は、山西省と内モンゴル自治区の境界に位置し、中央を流れる黄河がそのまま県境となっています。南側は山西省・偏関県、北側は内モンゴル自治区・清水河県、西には鄂爾多斯高原の准格爾旗が広がります。
ここから、名高い「晋・陝・蒙大峡谷」が始まります。
内モンゴルの魅力は、草原の雄大さだけにとどまりません。 老牛湾の峡谷と広大な草原は、まるで大地がもつ“剛”と“柔”の二つの表情。 それぞれが独立した世界でありながら、北疆の壮麗さと深遠さをともに語りかけてきます。 ここは、黄河と万里の長城が唯一“握手”する特別な場所。 270度の弧を描く「太極湾」は、まさに黄河が刻んだ大地のトーテム。 激流の黄河と、静かに連なる明代長城が交わる、その瞬間に出会える地です。
壮大な黄河に沈む“叙事詩のような夕陽”を待ち、 その光景の中でそっと人生の哲学に思いを馳せる——。
長い峡谷に寄り添う静かな湖面には、ゆらめく影が揺れています。 かつて奔流だった黄河は、ここでは山肌に沿ってゆっくりと弧を描き、思いがけないほど穏やかな表情を見せます。 崖の縁から見下ろすと、澄んだ水面には青空と白雲が柔らかく映り込み、まるで空が湖に溶け込んだよう。 そして夕陽が峡谷の西側へ沈んでいく頃、雲は火が灯ったかのように色を変えながら、 橙から紅、紅から深い紫へ、最後は藍へとゆっくり染まりゆきます。 落日の光が赭色の岩壁に触れた瞬間、 その一面はまるで金箔をまとったかのように、ふっと輝き出します。

人はなぜ、何度でも夕陽に恋をするのか。 そして、なぜ西北の夕陽には、特別に心を奪われてしまうのか。 もしかすると、あなたも今この瞬間、私と同じ問いを胸に抱くかもしれません。 太古から受け継がれた“光への本能的な崇拝”なのか。 それとも、自然の落日がもたらす、世界と同じリズムで呼吸しているような感覚なのか。 あるいは、目の前に広がる色彩の嵐が、理性を手放して今の美しさに身を委ねさせるからなのか。 老牛湾で黄河の彼方へ最後の光が沈んでいくとき、 ふと気づきます—— もしかしたら“答え”そのものは、実はそれほど重要ではないのだと。
隣り町へふらりと遊びに行き、ただ“何もしない”時間を楽しむ。
抬げば山、見下ろせば河。 黄河大峡谷で過ごす一日は、まるで子どもの頃に戻ったように、 ぼんやりする、心を空にする、本を読む、昼寝をする、 水遊びをする、友人と語らう——そんな素朴な時間が自然と戻ってきます。 そしてもちろん、いちばんの楽しみは「ご近所さんに遊びに行く」こと。 崖の上にある“大楽”と黄河を結ぶ小さな曲がり道は、 いくつかの家が寄り添う小さな集落を、私たちとそっとつないでくれます。 ここは内モンゴルの地ですが、村人たちが暮らしているのはモンゴル包ではなく、 夏を涼しく過ごせる典型的な窯洞(ヤオトン)。 暑さが和らぎ、太陽が西へ傾くころ、 村のお年寄りたちは家の前の小さな庭に腰掛け、 今日はこの家、明日はあの家へと、ゆるやかにおしゃべりを楽しみます。 村はとても小さく、人も多くはありません。 枝にたわわに実る海紅果(カイコウカ)の鮮やかさとは対照的に、 どこか静けさが漂っています。 けれど、私たちが訪れると、その空気は一気に温かくなり、 違う世界から来た者同士なのに、不思議と話が弾む。 足元では、好奇心旺盛な子犬が私たちのあとをついて回り、 果樹の下を走り回っていた放し飼いのニワトリたちは、 驚いて枝の上へと飛び乗る——まるで“木に登る鶏”のように。 特別なことをしたわけではないのに、 何もしない一日が、なぜか満ち足りて、 静かで、そしてとても幸せなのです。
焼売、ベーズ(地方の蒸しパン)、ミルクスキン── さあ、出番をお願いします。
ここ、山西と内モンゴルが交わる土地では、 “炭水化物と乳製品”が私たちの旅の幸福をしっかり支えてくれます。 どこから向かうにしても、最初の滞在地には ぜひ呼和浩特(フフホト)を選んでください。 ここには、紙のように薄い皮の焼売、どんな具材も包み込む焙子、 そしてとろけるような奶皮子(ナイピーズ)が、 あなたの胃袋を射抜くべく待ち構えています。 呼和浩特では「二两烧麦 半日茶」が定番。 一两皮(=焼売8個)に、たっぷりのレンガ茶を添えて味わうのが流儀です。 お茶は脂を流し、麦は腹を満たす。 そして、内モンゴル・河套(ホータオ)地区の小麦粉、 シリンゴルの羊肉、ビークチーのネギ—— これらが、光が透けるほど薄い皮に包み込まれ、 遊牧の豪快さと中原の繊細な点心文化がひとつに溶け合います。 ここまでは「おいしそう」程度の想像ができるはず。 しかし、すべてを巻き込む“焙子(ベーズ)”が登場した瞬間、 その「おいしそう」は“想像を超える旨さ”へと一気に変わります。 外はカリッ、中はふんわり。 遠くからでも漂う香ばしさに足が止まるほど。 羊肉、牛タン、そしてなんと紙皮烧麦まで—— 焙子はそのすべてを包み込み、炭水化物×炭水化物の 圧倒的な幸福感を与えてくれます。 そして夏の食卓に欠かせないのが、乳製品の“三銃士”。 奶皮子(ナイピーズ)、奶豆腐、老酸奶。 食欲のないときに一椀、とろりと冷たく体に染みわたり、 肉料理を食べすぎた後には、やさしく口をリセットしてくれます。 ここでは、おいしさは想像ではなく、 “体験として迫ってくる”のです。
黄河大峡谷の雄大さを心ゆくまで味わったあとは、 西北が持つもう一つの側面——“極上のロマン”を感じに行きましょう。 寧夏・中衛では、砂漠の夜空に広がる満天の星々を眺め、 静かに語りかけてくる星の声に耳を澄ませるひとときを。 そして、賀蘭山の麓に佇むシャトー・ランでは、 キリッと冷えたワインを一口。 グラスの中で踊る泡が、夏の風に重なるように軽やかに弾けます。 西北の“ロマン”は、ここから始まります。

ルート② 賀蘭山シャトー・ラン - 中衛・黄河宿集
ルート② 賀蘭山シャトー・ラン - 中衛・黄河宿集
賀蘭山、紫がかったロマンに酔う、ほろ酔いのひととき
銀川市街を車で抜けると、わずか一時間足らずで賀蘭山の東麓に到着します。 道路の両側には、水田、ブドウ畑、湿地が次々と広がり、 遠くの山並みは墨を溶かしたように青く、 雲の影が灌漑用水路の水面を静かに流れていきます。 カーブの少ないまっすぐな道は、視界をそのまま地平線へと導き、 堂々たる山脈はまるで巨人のようにそびえ立ち、 夏の熱気を外へ閉ざしてくれているかのようです。

夏の夕暮れ、金色の光がそっと賀蘭山の稜線を縁取り、 涼しい風がシャトー・ランのブドウ畑をやわらかく撫でていきます。 葉が触れ合うたびにこぼれる光は、まるで陽射しを細かく砕いているよう。 やがて時が進むにつれ、この一帯は淡い紫色のベールに包まれていきます。 扉の外には乾いた砂礫の風景が広がる一方、 ひとたび足を踏み入れれば、そこはまるでオアシス。 庭には緑のツタが絡まり、モンステラの大きな葉は艶やかに光り、 枝いっぱいに実ったイチジクが季節を告げます。 どこか好きな場所に腰を下ろすだけで、 心と体の力がふっと抜けていくような、穏やかな午後が流れ始めます。

天が長ければ、酒を手渡そう
日が沈む時刻がゆっくりと後ろへずれ、 夏の午後が思いのほか長く伸びていく—— そんなときこそ、ワインを手渡す合図です。 「天が長ければ、酒を勧める」。 その一瞬が、何気ない夏の午後を、 小さな“祝祭”のような時間へと変えてくれます。 風土の息づかいが詰まった、よく冷えたロゼワイン。 グラスの中に閉じ込められた夕焼けと、 ほんのりとした涼しさが、静かに夏を彩ります。
夏多兰酒庄の、古樹マルスランで仕込まれたこのロゼワインは、 グラスに注いだ瞬間から若々しく弾ける香りを放ち、 まるで“思春期のエネルギー”のような張りと瑞々しさを感じさせます。 口に含むとまず心地よい収斂感が現れ、 続いて古樹の深い根がもたらすミネラルの凝縮感、 そしてマルスランらしい奔放なフルーツのアロマが重なり合い、 ロゼの軽やかな骨格の中に幾層もの魅力的な表情が生まれます。 しっかりとしたボディには、ナッツやスモーキーさを思わせる 複雑で厚みのある香りも潜んでおり、 味わいに奥行きを与えています。 このワインは、寧夏の夏の果物と合わせるのが格別。 昼夜の寒暖差が大きく、砂地にミネラルが豊富な土地だからこそ育つ、 西北ならではの甘さと清らかな香りをもつ果物が、 ロゼの個性をより一層引き立ててくれます。
賀蘭山の稜線に、最後の紫がかった夕焼けが溶け込んでいく頃、 私たちは葡萄畑の中でそっと焚き火に火を灯します。 燃え上がる炎は、高原の夜風に舌を伸ばすように揺れ、 はじけ飛ぶ火の粉が、静かな闇に小さな光を散りばめていく。 音楽がないかもしれない。 歌や踊りもないかもしれない。 それでも、頭上には満天の星。 それだけでここは、 終わることのない“真夏の夜の夢”そのものになります。
西へと進むたびに、砂漠が見せる“極致”に出会う
騰格里砂漠の金色の砂海は、ここで黄河とそっと出会います。 想像するような灼熱は、西北の夏には意外と影を潜め、 広大な沙坡頭の砂丘もどこか穏やかな表情を見せます。 夕陽が沈むと、砂粒は日中に抱え込んだ熱をすばやく手放し、 ひんやりとした、指先で崩れるような細やかさへと変わります。 やがて夜が訪れると、主役は星空。 街のネオンが届かないこの地では、 ただ顔を上げるだけで“洗い立て”のような星空が広がります。 無数の星々は、氷水にそっと浸したかのように澄みきり、 低く垂れ、音もなく深い群青の夜空に瞬き続けるのです。


砂漠と、自分とのあいだに境界をつくらない人でいたい。
砂漠との距離が驚くほど近い—— だからこそ、中衛に足を運ぶ人の多くが、 胸のどこかにしまっていた“冒険心”を思いきり解放できます。 SUVに飛び乗って砂丘を駆け抜けてもいい。 沙坡頭の高みから一気に滑り降りてもいい。 あるいは、ただ部屋の扉を開けたその場所で、 黙々と“自分だけの砂の穴”を掘るのだって立派な冒険。 砂漠がこんなにも身近にある—— その事実だけで、誰もが探検家になれるのです。
では、砂漠では何をして遊ぶのか? ——その問いに、決まった“正解”はありません。 すべては、あなたの好奇心が決めてくれます。 砂で遊ぶ気分でないなら、黄河宿集の中をぶらりと散策してみましょう。 かわいい動物たちがのんびり歩き、 思わず長居したくなる本屋もあります。 コーヒーを一杯、そしておいしいケーキをひとつ。 それだけで、午後の時間は自然とゆるやかに流れ、 心地よい余白が満ちていきます。
西北のロマンと広大な荒野、そのすべてを胸いっぱいに抱きしめて。
屋根から差し込む光が、足元に淡い影を描き、 グレートーンの夯土(こうど)でつくられた長い回廊には、 幾何学のような光と影が連なります。 シャッターを切るだけで、まるで映画のフィルムのような レトロでありながらモダンな風景が写り込みます。 屋上のテラスは、仲間と一緒に“心が震えるような夕陽”を待つのに最適な場所。 そして、さらに特別な時間を過ごしたいなら、 胡楊林を一望できる景観プールがおすすめです。 ここでの日々は、子どものように世界へ好奇心を向け、 “ご近所さん”のもとへふらりと遊びにいく自由さに満ちています。 西坡のパンを味わい、野有咖のコーヒーを片手に歩き、 南岸で一杯のワインを楽しむ——そんな過ごし方も、この場所ならでは。 敷地内には可愛い動物たちが暮らしていて、 小さな野菜や果物をお土産に持っていけば、 思いがけない“出会い”が待っています。 にぎやかに過ごしたいなら、時折開かれる歌手のライブや花火を。 静けさを求めるなら、 大切な人と果樹園をゆっくり歩き、西北の澄んだ星空と出会ってください。 ここには、にぎわいも、静寂も、 そして“物語のような時間”もすべて揃っています。
ヨーロッパで人混みに揉まれる必要なんてありません。 ここには、もっと気前のいい長い昼があり、 より低く、手が届きそうな星河があり、 そして山の気配をまとった優しい夕風があります。 「西北の夏は、どれほど魅力的なのか?」と聞かれたら、 こう答えるしかありません—— 遠いようで、実はすぐそばにある。 その“届きそうで届かない”距離感こそが、 西北の夏を、誰よりもワクワクさせてくれるのです。




