Newsお知らせ

お知らせ

大楽之野(ウランモード草原店)|夏の放牧地を、もう一度ひらく

深く息を吸い込む—— 乾いた草の葉の匂い、湿った土の香り、野の花のかすかな甘さ、 そして遠くの家畜の気配まで溶け合った、 草原だけが持つあの空気が、胸の奥まで一気に流れ込んでくる。 「草原、久しぶり。」 昨年、名残を惜しむ暇もなく別れを告げたあの日は、 天地がページをめくるほんの一瞬に過ぎなかったのだと思う。 蹄の跡が残る場所はすべて“帰る道”。 視線の先に広がる風景はどれも“初めての出会い”。 草原は、いつだって再会を待っていてくれる。

马蹄がふたたび朝露を散らすとき、 あなたは気づくはずです——草原は、そもそも感傷などしないということを。 折れた草の茎は、いつの間にか静かに繋ぎ直され、 大きく迂回した川には、また流れ戻るための道がそっと残され、 倒れたままだった木の柵も、気づけばまっすぐに立て直されている。 そして昨年、あなたが転んだあの泥の窪みには、 サジランの花がひとつかみ、やさしく蒔かれている。 重逢とは——草原がひとつ瞬きをする、そのわずかな間。 罕ウラ山に風が吹き、 サジランの種が春風に応えて目を覚ますかぎり、 この果てしない“一期(いちご)”は、いつだって 次の、もっと豊かな“一会(いちえ)”へと続いていく。 草原は、ただそうして、 何度でもあなたを迎え入れる準備をしているのです。

1.jpg

草原との再会とは—— 風と草が交わすささやきを、そっと聴き取ること。

草は、この壮大な宴のまぎれもない主役です。 初春の淡い黄緑ではなく、 夏の力をしっかり蓄えた、深く濃く満ちた緑。 その色は自覚のないままに勢いよく大地にこぼれ広がり、 視界の果て、空へ溶け込む境界まで幾重にも重なり合って続いていきます。 そして、風に揺れて“語りかけてくる”草の波。 走り、跳ね、たゆたう緑のうねりのなかで、 草先に宿った露がひとすじの光を弾き、 遠くを流れる川と呼応するように、 草原に極小の虹をそっと生み出していきます。 ここでは、緑そのものが呼吸し、物語り、 草原の「夏」が静かに満ちてゆくのです。

草原が手ずから織りあげた“花の絨毯”を見る。

ウランモードの“花の絨毯”は、 自由奔放でありながら、大自然の法則に忠実に織り上げられています。 サジランは陽だまりの斜面にしっかりと根を下ろし、 真紅の花びらをそっと上へと反らせ、 緑の草原に跳ねる焔のようなアクセントを添える。 一方で、タンポポの明るい黄色の綿毛は草地に点々と散らばり、 風が吹くたびにふわりと舞い上がって無数の“星の種”になる。 まるでモネの絵に浮かぶ光の粒のように、 空気の中で軽やかに躍ります。 草原は今日も、 色と光と風をつかって、 何気なく、けれど見事な一枚の花毯を編み続けているのです。

2.png

もっと心を奪われるのは、名もなき草花たちです。 藍紫の馬蔺(バリン)はすっと背を伸ばし、 まるでコバルトを含ませた筆先が草原に触れたような色の深みを見せる。 黄金色の野菊は一面に広がり、 まるで “翡翠の絨毯にこぼれ落ちた金片” のように輝きを放つ。 そして、少しかがんで草の間をのぞき込めば、 草先に咲く小さな花々が、まるで砕けたダイヤのように 力強く、そして華々しく咲き誇っているのが見えます。 それぞれの花が、それぞれの生態位で自然に従って咲き、 牛や羊の蹄跡、そして蛇行する小さな川によって切り分けられながら、 草原の上に 有機的な色のパッチワーク を描いていきます。 名もなき花々こそが、この大地の織物を いちばん豊かにしているのです。

草原の夏は、まるで“無料のWi-Fi”のよう。 満格の信号が感覚を一気に解き放ち、 果てしなく広がる美しい景色は、 読み込みもバッファも不要のオートローミング。 ただ自由に歩き、 ただ思うままに見渡すだけで、 草原のすべてがあなたに接続されていきます。

3.png

私たちは草原を旅する者であり、 同時に夏の放牧地で暮らす“家族”でもある。

高山の草地には、牛や羊がゆったりと散らばり、 草原は勢いよく伸びた“緑の毛布”。 雲はふらふら歩く綿菓子のようで、 横になれば、それだけで空の半分はあなたのもの。 モンゴルブルーを見飽きたら、 くるりと寝返りを打てばいい。 背中に落ちる太陽は、まるで無料の艾灸(お灸)のように温かく、 立ち上がって風がひと吹きすれば、たちまち爽やかさがチャージされる。 夏の放牧地には、実はたくさん“忙しくなれること”があるのに、 結局いちばん簡単に叶ってしまう願いは、 ただ寝転がって、ただぼんやりすること。 そして—— 夏牧場には、都市に暮らす私たちを irresistibly(抗いがたいほど) 引き寄せる “進階版の楽しみ方”が、まだまだ隠れているのです。

馬に跨り、軽く鞭をあげる—— それは、ゆるやかな怠け心でもあり、 同時に、風を切るような洒脱さでもある。

比如,骑上蒙古马,去草原探秘。策马登坡,俯视乌兰河如银链蜿蜒,九曲回环映照流云。那些远处的蒙古包散落,牛羊几不可见,唯有炊烟与晚霞交织的瞬间,好像“风吹草低见牛羊”这句话,就突然冒了出来。等到穿越溪流山丘,在落日十分抵达敖包,也许是真的会让人美到失语。

4.png

もし乗馬の技術に不安があるなら、 都市の人にも馴染みやすい 草原バギー(ATV) を選べば大丈夫。 エンジンをかけて草地へ走り出せば、 ただ風を追いかけるだけで、 草原の広さと夏の自由が、一気に身体の中へ流れ込んできます。

5.png

草原で味わう“アメリカン”と、モンゴルの大きなパンの組み合わせ。

乌兰河畔で過ごす午後は、 遊牧の野性と、現代のゆるやかさが絶妙に混ざり合う“草原式アフタヌーンティー”にぴったりです。 鍋に水を沸かし、挽きたてのコーヒー粉をそっと敷きつめ、 沸騰した湯が銀の蛇のように細く流れ込み、 濃い琥珀の滴がシェアポットに落ちていく—— そんな光景さえ、草原ではひとつの風景になります。 隣には、この土地ならではの乳製品。 甘いもの、しょっぱいもの、種類も味わいもさまざまなチーズが並び、 まるで子牛たちの“ごはん”を全部奪って 遠くから来た客人に振る舞うかのような気前の良さ。 草原のアメリカーノをすすりながら、 チーズと蒙古の大きなパンをちぎって頬張れば、 働くことを一瞬忘れてしまうような脱力感と、 満腹の幸福がふわりと空気に混ざり合います。 ——そうなると、 不安? 焦り? そんなものは、最初からこの草原には存在しないのです。

遊牧民のロマンと自由に、そっと近づいていく。

PPTも996も、いったん全部忘れてしまいましょう。 草原でいちばん小さな“労働力”になり、 ほんとうの意味で 牧民(遊牧民)になる のです。 大楽之野(ウランモード草原宿集店)からほど近い 遊牧民の友人の家を訪ね、 そのままの“遊牧の暮らし”に触れてみてください。 牛の乳を搾り、羊の串打ちを手伝い、群れを追い、 あるいは季節ごとに移動する“転場”の物語を聞くのもいい。 そして夜が落ちる頃、 火を灯したゲル(蒙古包)のそばに集まり、 草原の夜宴がはじまります。 ゆるやかに響く馬頭琴、 あとからじわりと効いてくる自家醸造の酒、 月明かりの下の笑い声、踊り、歌—— そのすべてが、草原に生きる家族のような温度で満ちています。 疲れたら、ただ横になればいい。 星空をそのまま“毛布”にして眠る幸福が、 そこには確かにあります。

6.png

草原の夏は、言葉を尽くして説明する必要なんてありません。 すでにその“軽やかなやさしさ”が、そっとあなたの胸に抱きしめられているから。 白いごまをぱらりと撒いたように駆け回る羊の群れ、 風を扇のように受けて揺れる馬のしっぽ—— この風景に足りないものがあるとしたら、 ただぼんやりと空っぽになりに来る、あなた自身だけ。

ただ静かに、この風景の中に身を置く。
それは、どこか懐かしい記憶の手触り。
石造りの家に泊まり、 沈み込むように設えられたダイニングから、 草を食む牛や羊とそっと目を合わせる—— そんな時間が、ここでは当たり前のように流れていきます。